埋め立て地

着飾る自意識過剰

 自分を着飾る。それほど怖い言葉はなかった。

 私は元々、自分の姿にとてつもなくコンプレックスを持っていて、しかしそれに真正面から向き合おうとはせず、見て見ぬふりをして今まで生きてきた。

 だから自分にはおしゃれをする資格なんてないと思っていた。街中で見る素敵な女の子たちは元々とても可愛いか、もしくはすごくを頑張って可愛いを作っていて、自分はそこに入る資格はないのだと思ってずっと自分の足下を見ながら生きていた。太っているから服を選ぶという行為も苦手で、可愛い、と思う服はあるものの、それを手に取った瞬間、おまえみたいなデブでブスがどうしてそんなに可愛い服を着るんだと誰かから責められているような気がしてそっと服を戻してさっさと服屋さんを後にする。そんなことを繰り返して服屋さんに入るだけでもげんなりするようになってしまった。疲れてしまうのだ。誰か分からない、匿名の目を気にするのは。

 しかし、ある日ふと、自分のことを気にしている人は、自分以外にいないんじゃないかと分かった。何で気がついたかはあまり覚えていない。しかし自分のことを一番気にしているのは自分だけだと気がついたのだった。例えば自分が大勢の人を前にしてスピーチをする時、スピーチをする自分は間違えないように、と緊張する。もし間違えたら大勢の前で恥をかくことになるからだ。しかしこの立場が逆で、自分が大勢のうちの一員だったらどうだろうか。多分スピーチ聴くのなんてだるいな、と思いながら、スピーチしている人が間違えたとしても、あ、間違えたみたいだ、でもどうでもいい。興味がないから。そう思うのではないだろうか。

 つまり自分は他の人から注目されるだけの存在である、とある意味自意識過剰になっていたと気がついた。私が着飾っていればその姿を見た通りすがりの人はブスが張り切ってるなと思うかもしれないが、それだけだ。その人はすぐに私のことを忘れるだろう。元から私に興味はないのだし。私が芸能人だったら違うのだろうけど、私は芸能人じゃなくただの一般人で、友達とか家族とか、私と関わる人くらいしか私に興味を持たないだろう。

 だから、自分を責めていたのは、攻撃していたのは、自分自身だった。そう気が付いた時、心がふっと軽くなった。ようやくよく分からない自分を攻撃するものの正体が分かってほっとしたのもある。だってよく分からないものに攻撃され続けるのって怖い。

 私は少しずつ、自分が気に入る自分になろうとしている。太っているのが嫌だから食事を気にするようになったし、筋トレをするようにもなった。可愛いなあと思う服を手にとって鏡の前で合わせてみたり、化粧でかわいらしい顔にしてみようと試行錯誤している。そういう変化があって良かったなあと思う。気づくのが遅かったんじゃない?とは思うけど、何事も遅すぎることはないはずだし、よく分からない仮面をかぶった自分にずっと死ぬまで責め続けられなくて良かった。まだ照れはあるけれど、少しずつ自分を認めて好きになれたらいいなと思う。